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2005/03/09

『オペラ座の怪人』祭り最終日間近 (ファントム編その1)

4回目の鑑賞は「素直にオペラ座の怪人を楽しもう」がテーマでした。

大体、ストーリーも分かっているので、字幕はほとんど見なかった。ツッコミ入れたくなるポイントは2回目・3回目の鑑賞の時にほぼチェック済みなので、その辺も気にせずに鑑賞。今回は肩こらなくて楽しかったです(笑)。

今回はストーリーや登場人物についても、いろいろと考えをまとめることが出来ました。人々が『オペラ座の怪人』にこんなにも強く惹きつけられるのは、ストーリーやキャラクターが悲しく、そして魅力的で複雑だからではないか、と思いました。

完璧な設定がされていないから、「これが正解」っていうのがないんですよね。見た人が感じたままの意見を持てるっていうのも楽しい。原作本を読んでいないので間違ったことを書いているかもしれませんし、まだまだ勉強不足でトンチンカンな感想ですが、いろいろな意見や感想を読んだ上でのMicharaの「ファントム観まとめ」ってことで。

まず、ファントムという人間について。

映画版ではファントムの子供の頃のシーンが挿入されています。これを見た人は「あ、エレファントマンと一緒だ」と思ったはず。ワタシも思いました。

エレファントマンのジョン・メリックは悲惨な生い立ちでありながら、最後まで心優しい青年でしたよね。でも、ファントムは違った。それはなぜか。(物語の都合上とか言っちゃいけない。「子供の頃、既に殺人犯してるし」とかも言っちゃいけない。あれは正当防衛に近い) 

それは、「オペラ座」の魔力が彼を狂気へと走らせてしまった気がしてなりません。オペラ座というきらびやかな世界の下の暗闇。真っ暗闇のジメジメとした地下で育ったファントム。どんなことを考えて育ったと思いますか?

食べ物はマダム・ジリーがお世話してくれたでしょう。だから、食べるために生きる必要はなかった。食べることだけを考えて生きていたら、こんな狂人にならなかったかもしれないのにね。

マダム・ジリーは彼を助け出し食事の世話くらいはしたでしょうけど、当時は彼女もまだ子供だった訳ですから、それ以上のことは出来なかったでしょう。もし、マダム・ジリーがファントムに「愛」を教えていたら、こんな風にはならなかったはず。

今まで触れることがなかった美しい世界「オペラ座」。ファントムは「この暗闇の世界の上は、一体どうなっているのだろう」と想像したでしょうね。音楽に誘われて地下を抜け出して舞台を覗きに行ったこともあるでしょう。彼の姿を見て驚いた人々の恐怖に満ちた表情を見たファントムは、美しい世界の中の暗闇を見てしまったのかもしれません。

美しい世界に憧れつつも受け入れられない自分。美しい世界を愛しても弾き出される自分。誰も自分を知らない。愛してはくれない。自分に向けられるのは「恐怖」と「哀れみ」だけ。愛されたい愛されたい・・・。

そんな悲しい欲求が、彼の天才的な能力をどんどん引き出していったのでしょう。もしかしたら、美しい音楽を奏でられたら、美しい舞台を作り上げられたら、こんな自分でも愛されるかもしれないという望みが少なからず、あったのかもしれません。

でも、ファントムは地下で長く過ごしすぎました。もう、彼の心の中には暗闇しか存在しない。人を憎み、憧れつつも美しいものを憎む心しかなくなった彼の前に、クリスティーヌが現れます。

両親を亡くしたばかりのクリスティーヌは毎日毎日泣いていたのでしょうね。お祈りする時もベッドの中でも一人でひっそりと泣いている少女。この時、ファントムはクリスティーヌの中にきらびやかなオペラ座の美しさとは違う、「純粋で美しいもの」を見つけたのだと思います。

「きっと、この少女なら自分のことを理解してくれる」。不思議な魂の結びつきをファントム自身が感じたのかもしれません。

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